貝葉に見る般若心経の秘密 ダンマパダ

第9章  (117,118)
人がもし悪事をしたならば、それを繰り返してはならない。
悪事に心を向けるな。
悪事の積み重なりは苦しみである。

人がもし善をなしたならば、それを繰り返せ。
善に心を向けよ。
善の積み重なりは楽しみである。
善と悪とは本当に区別できるのでしょうか。
よく言われることですが、人を殺すほど悪いことはありません。しかし戦争で人を殺せば褒められます。
広島や長崎の原子爆弾はどうなのでしょう。
私には悪いことにしか思えないのですが、アメリカ側から見れば、この状況下においては最善の方法であったと言うのです。
その証拠に、このおかげで戦争が終結したではないか。
もしこれを実行しなかったならば、もっともっと戦争は長引き、それ以上の多くの犠牲者を出さねばならなかったであろうと言われるわけです。
第一戦争を始めたこと自体、一部の軍部の人にとっては一番良いことだったわけですから、たまったものではありません。
このようにある行為は見方によっては善にもなり、悪にもなりうるのです。
またいくつかの行為を並べてみた場合、AよりBの方が良くて、BよりはCの方が更に良いとした場合、BはCよりも悪く、Aは更に悪いことになります。
ではAは悪事なのでしょうか、Cほどにはないけれども善の行いであるかもしれません。
何を言いたいかといいますと、要するに、善悪は絶対的に決定できるものではないということです。
仏教における空の論理においては、そのように相対的であって絶対的でないものは、実在することはないと言っています。
しかしダンマパダにおけるこの詩においては事情が違います。
我々の常識的な捕らえ方における善悪を言っています。
ですから、この詩はまったくそのまま、受け取ればよろしい。
もしも誤って悪事を為してしまったならば、再びそのようなことはするでないぞ。
善は大いに積み重ねなさい。
そうすればあなた自身も楽しくなりますよ、と言っているのです。
常識的な善悪とはどういうことかと申しますと、他の多くの人々が喜ぶことが善であり、他の多くの人が苦しむことが悪なのだということができるでしょう。
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