貝葉に見る般若心経の秘密 ダンマパダ

第10章  (129,130)
すべてのものは暴力に脅えている。
すべてのものは死を恐れる。
我が身に引き当てて、殺してはならない。
ころさせてはならない。

すべてのものは暴力に脅えている。
すべてのものにとって、命は愛しい。
我が身に引き当てて、殺してはならない。
殺させてはならない。
仏陀の時代は、インド史上最も不安定な激動期であり、戦争や社会不安の只中でありました。
インドだけに限らず権力者はしばしば横暴な行為に走ります。罪のない人を捕らえ、暴力をもって責め立てることも少なくなかったことでしょう。
この詩の暴力と言う言葉は、言語ではダンダと言い、杖とか棒、武器といったものを表していますが、転じて刑罰とか暴力と言う意味に解されています。
仏陀は暴力を徹底的に嫌い、動物に対しても不殺生を説いています。
暴力は本当にだれでも怖いものです。
やりかえすだけの力を持った人は別の感覚を持つかもしれませんが、我々一般の人は暴力を恐れます。たとえ社会の仕組みとして警察に訴えることが出来るとしても怖いものです。
例えば路上で絡まれ、暴力を奮われている人を見たとしたらどうされるでしょうか。
本来すぐに助けに入りたいところですが、一瞬躊躇するでしょう。場合によっては逃げてしまうかもしれません。
警察に電話して助けを呼ぶと言うことになるでしょうか。なぜさっと助けに行けないのでしょうか。
暴力は怖いからです。
仏陀は、簡潔に「すべてのものは暴力に脅えている」と言っていますが、これは自分でも経験し、社会の姿を明確に捉えているからに違いないでしょう。
そして、「我が身に引き当てて」ということは、仏陀の慈悲の精神の根本的思想を表しています。
自分が怖いものなら他人も怖いだろう、自分が好きなことは他人も好きであろうと、自分と他人との関係を明瞭に物語っています。
言い換えれば、他人と自分を同化する慈悲の心であります。
この詩の持つ意味合いは、仏教の根本的慈悲の精神を示し、暴力を否定しているものであり、現代の仏教においても受け継がれているのです。
さらに、他人を自分に引き当てて考えると言うことは、自分の利益を考えるのではなく、他人を幸せにするために利益となるように考えると言うことであります。
このように、短い詩ではありますが、仏教の非暴力、不殺生、不戦の思想を示しているのです。
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