貝葉に見る般若心経の秘密 ダンマパダ

第5章  (62)
「私には子供や財産がある」と思って愚かなものは悩む。
しかしすでに自分は自分ではないのである。
どうして子供が自分のものであろうか。
どうして財産が自分のものであろうか。
この詩のポイントは、自分は自分ではない、と言うところです。
自分で自分が分らなくなったとか、何で自分はこんなことしてしまったのだろう、などと現代でも言いますが、この仏陀の言葉の自分のものと言うところをよく考えておく必要があります。
ものが実在すると言うような言い方においては、実体という言葉が使われます。空ではないことを言います。
この実体というのは、その対象とするものであって、それ以外の何物でもなく、未来永劫変わることのないものをいいます。
世の中に、そのようなものはありません。たとえ太陽でも何時かは変化します。
仏陀はそのような哲学的考え方を持っています。
自分の物である、と言う場合、自分のものとはどういうものかを示していますが、それは、自分のものと言うならば少なくとも自分の思い通りになるものでなければならない、としています。
私は現在頚椎のヘルニアで闘病生活を余儀なくさせられています。
早く良くなりたいのですが、思うに任せられません。自分の首なのですが、自分の思い通りにならないのです。
ということは、この首は私の首であるとは言えないのです。
この私、私の思い通りになるところなど一つもありません。最初からそうです。途中から思い通りにならなくなったわけではありません。
すでに自分は自分ではないのである、と言っているのはこの事です。
自分ですら自分を思い通りに出来ないのに、ましてや子供を自分の思い通りに出来はしませんよ。それは世の習いですよ。と説かれています。
財産にしても同じであり、自分の思い通りに出来る財産はありません。いつ何時災害で失われるかもしれません。
このような当然のことを愚か者は気づいておらず、悩んでしまっているのです。
賢い人は、そのことに気づき、ああ今まで自分のものだと思っていたことは間違いだったと思えるようになったときから、その瞬間から、悩みから開放されるのです。
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