貝葉に見る般若心経の秘密 ダンマパダ 第3章 (35) |
心は捉えがたく、ざわめき、欲するままに行こうとする。 その心を制することは良いことである。 その心を制したならば、安楽に到る。 |
心とは一体なにでしょうか。 色々の言われ方をしていますが、はっきりと定義することはなかなか難しいことです。 自我とは何かに通じます。その自我をみるには勉強と修練、すなわち修行が必要だとされています。 犬猫に心はあるでしょうか。自我はあるでしょうか。 仏教の教えでは、心は空であり、心があるとは言えないといっています。しかし同時に、心はないのではないとも言っています。 そのような心を定義づけようとしても、所詮言葉の遊びにしかすぎないのかも知れず、定義そのものが困難なのではないでしょうか。 しかしこのダンマパダにおいては、そのような議論を行おうとしているのではありません。 私も、貴殿も直感的に感じている心でよいのです。このワープロを打っている心であり、明日の天気を心配している心です。 その心を捉えることは難しいと仏陀は言っています。 捉えるの意味合いは、定義づけとして心を捉えるということではありません。 心を拘束するという意味での捉えるです。 自分で自分の心を捉えることは意外に難しいものです。 その心が安定しないのが凡人の常なのです。そして、色々考えはするものの結局その心の意図するまま、それを語り、実行してしまうのです。 そうして災いを自ら招いてしまっているのです。 煩悩とはそのようなものです。 その心、煩悩を無くしてしまえとは言っていません。 制せよと言われているのです。 正しく考え、正しく語り、正しく行うことが出来るように心をコントロールするべきであるといっているのです。 このように心を制するならば、そこに安楽の世界が広がってくるのです。 |
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