貝葉に見る般若心経の秘密 ダンマパダ 第23章 (328) |
思慮深く、行い正しく、 聡明な伴侶を得ることが出来たならば、 あらゆる危険や困難を乗り越えて、 心喜び、正しく念じつつ、 ともに歩むがよい |
仏陀の時代、修行は一人でするものか、共同でするものかという議論が盛んになされていました。 仏陀自身も結局一人で修行して悟りを得ていますし、スッタニパータという経典の中で、出家者は犀の角のように一人離れて修行せよと説いています。 一人で修行する利点は、独立自由に修行できるところにあり、共同で行う場合は、どうしても相手に気遣ってしまうからです。また、仏陀は一人でないならば、相手とおしゃべりしてしまって修行に専念できないからだとも言っています。 しかしこの詩のように、要するに、賢い連れが必要だとも言っています。 思慮深く、行い正しく、聡明な伴侶は良いことだといっています。 しかし一つの条件を出しています。それは、心喜び、正しく念じつつ、と言うところです。 自己をしっかりと護りながら、正しい念を保ちながら行じなくてはならない。それが出来るならば伴侶とともに修行することはよいことだというわけです。 これは仏教の発展にとって極めて重要な考え方であったのです。 当時いろいろの沙門集団が活躍していたのですが、多くは独自修行を行う集団でした。それらの中で仏教とジャイナ教だけが集団で修行する方式を取り入れており、現代まで残っているのは正にこの二つだけなのです。 仏陀の斬新な考え方、集団で修行するという考え方は素晴らしい考え方だったのです。 この集団での修行というのは、実は自然発生的であったともいえます。 富豪な信者の寄付してくれた精舎や僧院で弟子たちがみんなで暮らし始めたことを、仏陀は否定しなかったと言うことなのです。当時の沙門集団としての修行方法から見れば、それは違法であり、革新的なことでもあったのです。 いろいろの反対意見もあったのですが、仏陀はこの精舎方式を認め、教団という組織の基礎を築いたからこそ、仏教が今日あるといっても過言ではないかもしれません。 集団での修行は、教理を維持できるからなのです。 |
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