貝葉に見る般若心経の秘密 ダンマパダ

第22章  (314)
悪をなすよりは何もしないほうがよい。
悪を行えば後で悔いる。
単に何かを行うよりは善を行うのがよい。
行い終わって、悔いることがない。
善悪の違いはどのように決められるのでしょうか。
この行いは善で、この行いは悪であると基準はどうなっているのでしょうか。その絶対的な基準はないといってよいでしょう。
前に人を殺すことは善いことか悪いことかについて述べたことがあります。
現代でも過去の歴史上でも人を殺すことは悪行だと言われているように思いますが、そうも言い切れません。
戦国時代、敵の大将の首を取れば、これは大変な手柄であり、大いに誉められることでした。
また現代でも、アメリカは空爆によってテロリストを殺そうとしていますし、テロリストはアメリカを攻撃対象としています。それぞれ殺すことに成功すればよくやったと誉められます。
人殺しは悪いことだとは決められないのです。
ヒンズー教においてはビーフを食べることは許されないことですし、イスラム教においてはポークを食べることはよくないことです。
でも日本人にとってはどちらも悪いことではありません。
このように、民族、時代、場所、宗教、文化、国際関係など色々の条件によって善悪の基準は変わってくるのです。
仏陀はその時の諸条件の中において、善悪について一つの基準をここに示したのです。
色々の例を挙げて示すのではなく、全体としての定義を出しています。
すなわち、後で後悔しない行為は善であり、後で後悔する行為は悪であると言うのです。
一つの考え方であります。
ただ、これだけでは不十分と言わねばなりませんが、仏陀はちゃんとそこまで気を使っています。
ある人は盗みをしても後悔しないかも知れません。これでは人によって異なってきてしまいます。
そのために、まず心を清めよ、と言っているのです。
その上で、後悔しない行いをしなくてはならないと言ってるのです。
ホーム(TOP)    ダンマパダINDEX    前章    次章