貝葉に見る般若心経の秘密 ダンマパダ

第19章  (271,272)
私は出家者としての最高の楽しみを得た。
これは凡夫には味わうことの出来ない楽しみである。
これは、戒律や誓いだけによっては得られない。
さらに、博学や瞑想や独臥を加えても得られない。
それは、汚れが消えうせたときに得られるのである。
油断することなく精進するが良い。
仏陀が言われたのです。私は最高の楽しみを得たと。
しかし、そのためには単に言われたことをなしていれば良いのではなく、心が洗われて来なければその境地に達することは出来ないのだといわれます。
色々の決まりごと、戒律を守りますと言っただけではその境地には達しられません。
沢山の教えを聞き、何でも知っている所謂博学になってもだめだ、瞑想してみても、一人居を続けてみてもそれらは単に空回りをしているに過ぎないのであって、肝心の心が綺麗になってこなければならないのです。
私も、長い会社生活の中でよく若い人に話したことがあります。
私は電気関係の研究開発の仕事をしているのですが、若い人を育てようと一生懸命指導しているときに感じたことです。
私たちの仕事は、今まで世の中になかった新しい製品を生み出すことです。社会のためになる製品を生み出すことです。
そのためには多くの知識を必要としますが、その知識はいくらあっても駄目なのです。ここが分ってもらえない所なのです。若い人は一生懸命勉強します。
そして沢山の知識を吸収しています。これはどういうことなのだろうかね、と聞けば必ず誰かは知っています。驚くほど博学です。
でもどうしても、新製品に繋がってこないのです。他社の製品の二番煎じになってくるのです。
まあそれでも毎日のメシは食べていけるほどの製品にはなりますから、気長に育てることが出来たのですが、中に一人二人次々と新製品を考え出してくれる人が出てまいりました。今は取締役にまでなってくれています。
どこでアカが取れたのでしょうか。
目に見えるようなアカはありません。取れたアカはありません。
でも、新製品を出すコツを体得したのです。
これは知識ではないのです。そのコツというのは説明の出来るようなものではありません。何年もかかって初めて体得できたのです。
仏陀の言われていることが分るような気がいたします。
色々のことは勉強しなければなりませんが、どうしてもそれだけでは駄目なのです。心が洗われるという境地になってこなければならないのです。
精進していなければ、その境地はやってまいりません。
怠ることなく油断せずに、求め続けなくてはならないのです。
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