貝葉に見る般若心経の秘密 ダンマパダ

第16章  (210,211)
愛するものと会うな。
愛しないものとも会うな。
愛するものに会わないのも、
愛しないものに会うのも苦しい。

それゆえに愛するものを作るな。
愛するものを失うのは辛い。
愛するものも愛さないものもない人には、
わずらいがない。
私は、「愛するもの」と解釈しましたが、「愛する人」と訳してある文献もあります。
愛する人と言うほうがはっきりして良いのかもしれませんが、全体の流れから見るに、もう少し幅が広いのではないかと思い、愛するものとしたわけです。
要するに、人に限らず、全てのものに愛をむさぼってはならないと教えているように思うからです。別の角度から見れば自分のものにしたいという欲望と言ってもいいでしょう。執着と言えるかもしれません。
愛するものと会うな、と言うのは、会えば更に愛が募るからですし、愛しないものと会うなというのは、憎悪の心を起こしてはならないからです。
愛しないもの、というのは、全部の中から愛するものを除いた全てのもの、という意味ではありません。嫌いなものという意味です。
全部の中から、愛するものと、愛しないものとを除けば、残りは愛してもいなく憎くもないものということになります。
愛するものに会わないのは確かに辛いことですし、愛しないもの即ち嫌いなものと会わねばならないのも苦痛です。
だから、愛するものを作るなといっています。愛しないものも作るなという言葉は省略されていますが、文意から見て当然そう言っていると考えられます。
愛するものを失うのは、ただ会わないということよりも更に辛いことです。
愛する恋人にしても、大切に思うお金にしても失うことは辛いことです。
あるいは、憎らしい人、いやな人と一緒に居なければならないことも辛いことです。
愛するものも、嫌いなものもないならば、そのような辛い思いをしなくて良いわけです。わずらいがないわけです。
どうすれば愛するものも、嫌いなものもない状態でいることができるようになるかと言えば、仏陀の正しい教えを習得することによって成し遂げられます。
そのようになった人を賢者と言うのです。
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