貝葉に見る般若心経の秘密 ダンマパダ

第15章  (201)
勝利すれば怨みを生じる。
敗れた人は苦しみ臥せる。
勝敗を捨てて安らぎを得た人は、
安らかに臥せる。
勝ち負けは賭け事の世界だけではありません。世の中生きていくのによく言われる言葉に、勝ち組とか負け組みという言葉がよく使われます。
どこまでを勝ち組といい、どこまでを負け組みというのか定義があるわけではありませんが、何々さんは勝ち組だからいいけど、何々さんは大変ね、などと言われます。
それがあたる場合もあればあたっていない場合もあります。
負ける人がいなければ勝つ人はいません。逆も同じです。
勝つということは、通常は人の満足を得る方にあります。勝つも負けるも定義であり、例えばじゃんけんで勝った人が鬼になってもいいですし、負けた人が鬼になってもいいのですが、ここではそういう理屈論ではなく、満足感を味わうほうの人を勝利者と言い、敗北感をもってしまうほうの人を敗者としています。
ですから勝利する人がいれば、敗者がいるわけであり、その敗者は怨みを抱くことになると言っているのです。
しかし、そうとばかりは言えないことがあります。
私の会社の中で、ずいぶん以前のことなのですが、こんなことがありました。
30才くらいの技術屋が上司から出世のためにはとして注意を受けました。するとその技術屋の人の答えが、「私はこういう人間であり、出世しようとは思っていないのです。責任ある立場にはなりたくないのです。今私は幸福感でいっぱいであり、これを続けさせてください」と本心から回答されました。
それを聞いて、人それぞれに考え方があるのだなあと思ったものです。
この人はどちらの組に入るのでしょうか。
外から見たら負け組みに見えますが、会社中で本当は一番幸せ感を満喫している人かもしれません。
勝った負けたの思いで生活すれば、必ず敗者が生じ、恨みの念を持たれます。
しかし勝ち負けを超越するならば、恨みの生じることはないのです。
どのようにしたら超越できるのか。それは仏陀の教え、真理を体得することであります。
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