貝葉に見る般若心経の秘密 ダンマパダ

第11章  (146)
何の笑いがあるのか。
何の喜びがあるのか。
人生は無常の火で燃えているのに。
暗黒に覆われたまま、
なぜ灯明を求めないのか。
人生をただ快楽を求め、ただ笑いながら過ごしている人々のなんと多いことであろうか。
人生は無常という容赦ない火に包まれていると言うのに、そのことに気づかないまま、過ごして行こうとしている者のなんと多いことか。
どうして早くそのことに気がついて、真理の法を求めようとしないのか。
仏陀は嘆き悲しんでいるのです。哀れんでいるのです。そうして何とかしてそのような人達を救ってやろうとしているのです。
人生しかり、すべてのものは無常なのです。絶えず移り変わり変化しており、変わらぬものはありません。
今日は笑っておられても、明日も快楽があるとは保証されません。交通事故に巻き込まれるかもしれませんし、会社が倒産するかもしれません。
一日一瞬たりとも自らの命を大切にし、充実して生きて行かなくてはなりません。
無常と言う火に追いまくられている自分を自覚してみれば、快楽を求めて笑って過ごしていられるものではないのです。
それなのに、多くの人はそのことに気がつかず、また気づこうともしていないのです。
仏陀は心底そう思い、心配し、皆に語りかけているのです。
仏陀は非常な決意の元、出家したに相違ありません。
物質的には何一つ不自由のない、優雅な暮らしをしていながら、王子というその地位を捨て、妻子を捨てて「家を出た」のです。
真理を得たいと言う求道の精神はよほどのものであったと推察されます。
そうして悟りを得た後、私たち多くの凡人をみて、その全く自覚のない奔放な生活ぶりを見て、心のそこから、思われたに違いありません。
無常の火に追いかけられていることになぜ気がつかないのだ、なぜ充実感を得た生活をしようとしないのだと心配されたのです。
我々は、この仏陀の心配を少しでも受け止めて、真理の法を得なくてはならないのではないでしょうか。
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