滅諦![]() 給料が安いと言う苦を例にしてみましょう。 自分は他人よりもこんなに仕事しているのに、他人の給料より安く、他人の生活よりも程度が低くなってしまう、などという悩みです。 自分の仕事と他人の仕事を比較し、給料を比較し、生活を比較しているのです。そして結果として苦を生じているのですが、その比較しているのはすべて心、即ち煩悩なのです。 煩悩をなくせば苦もなくなる。 それはそうかもしれませんが、少し道理に適わない所があります。煩悩を無くするということは、心の働きを無くするということであり、言うならば植物人間になってしまえと言うことになるからです。 実はそうではないのです。 滅と訳されていますが、原語はニローダといい、その意味は制御すると言う意味なのです。 心を制御せよと言っているのです。 心、すなわち煩悩を制御せよと言っているのであって、無くしてしまえと言っているわけではありません。 どのように制御すればよいか一概に決め付けるわけには行きませんが、例えばこの給料の場合、俺としては仕事しているつもりだけれども、会社から見た場合はやはり出来ていないのか、俺はここまでの人間だし、欲を言っていても仕方ないだろう。ま、生活できるだけありがたいではないか、などです。 あるいは、やっぱり仕事できていないからなんだ、明日からもっと仕事の成果を出すよう努力しよう。その結果が出るまではこれでいいのだ、と言う制御方法もあるでしょう。 理屈はそういうわけですが、単に制御すると言っても頭では分っていても何か無理に自分に言い聞かせているような気はしませんか。 心の持ち方を制御すれば苦はなくなるとの教えは、間違いではないと言うところまでは分るのですが、いまひとつ無理があるような気がするわけです。 しかし仏陀はそれを見事に解決しているのです。 それは次に述べる道諦に説かれているのです。 |
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