苦諦
苦諦というのは、正に人生は苦なりという言葉そのものを言っています。何の苦労もない人が居たら一度お目にかかりたいです。
人間どんな人でも生きていくためには苦がつきものなのです。
貴方はどんな苦をお持ちでしょうかね。
仏陀が考えた代表としての苦の分類は最初四つでしたが、後に更に四つ増えて八つに分類されています。
最初の四つは、生、老、病、死です。


生は、生きていくこと自体が大変なことだと言う意味です。私たちみんなが身近に感じる苦労の筆頭でしょうか。
今でこそこの日本では食べることには余り苦労しないですみますが、世界を見てみますと、餓死する人も大勢いるのです。
衣食住と言う最も基本的なことに関する苦労は大変です。命にまで直結していますから。
会社で認めてもらえないとか、休みが少ないなどという苦労は贅沢なのかもしれませんけれども実際に感じることは間違いないでしょう。


老は、老いていくことです。
平均寿命も着実に延び、百歳を超える人もいますが、いずれどこかでは人間老いぼれなくてはなりません。太かった腕も細くなり、自分で歩くことも出来なくなるときが必ずやってきます。しものお世話もかけなくてはならなくなります。


病も困ります。病にならない人というのも少ないでしょう。全く居ないとは断言できませんが、大抵の人は病で苦しむものです。
現に私も、実はいま頚椎のヘルニアで病院生活をしているところなのです。先生に許可を頂いて執筆していますが、早く良くならないかと毎日祈っているのです。痛いですからね。


死は言うまでもなくだれでも怖いです。死にたくないです。
こんなに生きていくために苦労していても死にたくないです。
それでも、いつかは死ななければならないと言う苦しみが現にあることは間違いないでしょう。
この生老病死を苦の代表としたのです。
後で加えられた四つを見てみましょう。

愛別離苦
愛別離苦というのは、愛する人ともいつかは別れなくてはならないという苦です。
いつまでも、いつまでもと思っても、離れていってしまわれたり、亡くなられてしまうかもしれません。交通事故でわが子を失うなどというのはその典型的な例でしょう。

怨憎会苦
いやな人、憎らしい人とも一緒に居なければならないこの現実の社会。あなたはいかがですか。あの人は消えてくれると有り難いのだけど、などと思われたことはございませんか。
一度や二度はご経験があるのでは。
これを怨憎会苦といいます。

求不得苦
おそらく全部の人が抱いておられる苦ではないでしょうか。求めても得られないと言う苦しみです。
アラジンの魔法のランプをまず手に入れて、もし、求めるものが何でも手に入るようになったならばどうなるでしょう。
色々の問題が起こるでしょうね。考えただけで食べ物でも自動車でも、あるいは異性でも、次々と現れてくるのですから大変ですよ。そのうちには消えてくれという要求すら出てくるかもしれませんよ。
世の中そうなってはおりません。
大抵ほしいと思ってもそのほとんどは手に入りません。必要最小限のものを手にすることによって大多数のものを諦めざるを得ないと言うのが現実であり、そこに求めても手に入らないと言う求不得苦が生じるのです。

五蘊盛苦
ごうんじょうく、と言います。ここで言う五蘊というのは肉体と精神の全てと言う意味です。簡単に言えば身も心もすべてていうことです。
ですから、五蘊盛苦というのは、身も心も苦しみを抱えるものであると言うことです。この身が何の苦も持たなく、そしてこの心が何の苦も持たなければこの世に苦はないのですが、残念ながら、身も、心も、苦を持ってしまいます。身よ、心よ、苦を持たないでくれと願っても苦を持ってしまうものだと言う苦をいいます。

先の生老病死の四つと、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つを合わせて八苦と言います。
四苦八苦というのはここから来ています。
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