菩薩

菩薩と言う言葉の意味

梵語でボーディーサットブァを漢字に音訳して菩提薩垂、略して菩薩と言います。
ボーディー、菩提は悟りと言う意味、サットブァ、薩垂は衆生の意味で、菩薩と言うのは悟りを求めている衆生と言う意味になります。
ボーディーサットブァとはもともと仏陀の弟子として修行している人々のことを指していたのですが、何々菩薩という固有名詞になってきました。
菩薩は如来に次いで高い位にありますが、菩薩の中にも順位があり、経典によっては十段階に分ける場合も有り、五十一段階に分けられる場合も有ります。
最上位の菩薩になると、輪廻転生の世界から脱することが出来るといわれています。
観音菩薩など仏像になっている菩薩は最上位ですが、一般の我々でも菩提心と言って悟りを得ようと心に決めたならば誰でも最下位ではありますが菩薩になれると大乗仏教では言っています。
菩薩の主な仕事は、如来の救世活動の手伝いをすることです。
その意味で、三尊像として、阿弥陀如来が観音菩薩と勢至菩薩を両脇に従えることが多くあります。この左右の菩薩を脇侍といいます。

菩薩像の特徴

菩薩像は如来像と違い、仏陀の出家前の姿、王子としての時代の姿をモデルにしています。
このため宝冠を冠り、きらびやかな装飾品を身につけ、王侯貴族の姿になっています。
首には瓔珞をかけ、耳環、腕環、足環など様々な装身具が用いられます。
上半身は裸に作られ、そこに細長い布を巻きつけています。天衣といいますが、これも装身具の一つです。
腰から下を覆うものを裳裾(もすそ)といいます。
時代が進むにつれ、色々の菩薩が出てまいります。
観音菩薩にしても、十一面観音や、千手観音、馬頭観音など出てまいります。
多面多臂と言うのは多くの顔と多くの手を持つという意味です。
地蔵菩薩だけは全く姿が異なります。 冠を冠らないどころか、つるつるに剃髪してしまっています。如意宝珠と錫杖(しゃくじょう)を持ちますが、如意宝珠は願い事を何でもかなえてくれるという有難い宝珠です。
錫杖は、地蔵菩薩が衆生救済のため東奔西走していることを示しています。
菩 薩 特 徴
観音菩薩 観世音菩薩、観自在菩薩とも言われ、救いを求めている人をよく観察して、意のままに救いの手を差し伸べる
様々の姿に変化する。変化観音として、十一面観音、不空羂索観音、千手観音、如意輪観音、馬頭観音、准提観音がある
文殊菩薩 智恵の持ち主で、いつも仏陀に付き従い、布教の手伝いをしていた
右手に剣、左手に経巻を持ち、獅子の台座に座る像が多い
剣は鋭く研ぎ澄まされた智恵を、経巻は智恵そのものを表す
普賢菩薩 梵語の直訳は、普く・吉祥であり、修行の徳を与え、女人往生を約束し、信者たちを守護するといわれる
また、延命の徳もあり、このため、延命を祈願する場合、本尊に普賢延命菩薩をまつる
一般には、白象の上に置かれた蓮華座の上に座り、合掌している
女性の姿をしていることもある
弥勒菩薩 慈しみから生まれたもの、という意味を持ち、慈氏弥勒とも言われる
仏滅後五十六億七千万年後娑婆世界に降りてきて、仏陀の救いに漏れていた人を救うといわれる
椅子に座って右足を左ひざの上に組み、右手を頬にかざす半跏思惟像が一般的
あぐらかいてる場合は、手に宝塔を持つ
虚空蔵菩薩 虚空と母胎を表す原語から虚空蔵菩薩といわれる
広大無辺の仏の智恵と慈悲を、母胎に包み込むかのごとく優しい姿を象徴している
曼荼羅の絵姿として描かれたのが基本で、密教で作られた菩薩
五仏を表した宝冠を冠り、右手に剣、左手に宝珠の載った蓮華を持つ坐像と、右手に払子、左手に宝珠の載った蓮華を持った立像とがある
地蔵菩薩 原語からは、大地、母胎となり、台地を母胎のように優しく包み込んでいるという意味
包み込むことを蔵すると言うため、地蔵菩薩と言われる
仏滅後弥勒菩薩が来てくれるまで、この娑婆世界には仏がいないわけで、仏陀は、その間娑婆世界を守るように地蔵菩薩に申し付けたとされている
菩薩の中で地蔵菩薩が唯一剃髪しており、衣を着て、右手に錫杖、左手に如意宝珠を持っている
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道を錫杖をつきながら忙しく順歴されている
六体の地蔵菩薩が並べられていることがあるのは、これは一人では大変だろうと、地獄から天上に至る六道に一体づつ当てたもの
各道によって持ち物や印がすこしづつ違っている
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