如来と菩薩


初めに
仏様と言えば、如来様も菩薩様も同じようなもので、どうもその違いがよく分らないと言われる方はおられませんか。まあ、地蔵様は頭が丸いとか、仁王様はすごい顔してるとかは分っているのだが・・、と。
私も以前は如来と菩薩の違いなど全く気がつかず、仁王様の顔くらいの思いでした。その知らなかったと言う経験を活かしてなんとかわかりやすく纏めてみたつもりです。
一言で言えば、如来様は悟りを得られた方で、菩薩様は修行中の方です。
ですけれども、既に悟りを得られていて如来の位にあってもいいのに、菩薩にとどまっていられる場合もあります。
また、仏像として鑑賞するとき、どうしたら如来と菩薩を区別できるかなどについても述べてみたいと思います。
ただ、一般的なことを中心としていきたいと思いますので、多少概念的になったり、厳密さを欠く場合も有りますので、ご了承ください。
中田良作 拝書


仏像の否定と成立


偶像崇拝の否定

仏陀はいわゆる教祖様となることを徹底的に否定されました。例えば最近の新興宗教に多く見られる形態、何々教の教祖様は誰それであって、その教祖様を信じるという形態は完全否定されたわけです。
このことは簡単なようですか、奥深い意味があると思います。
「私を信じなさい」と「私の言うことを信じなさい」とでは大きな違いがあります。前者は人という形がありますが、後者は形のない論理をさしています。仏像にしても如来像にしても、あるいは菩薩像にしても形があります。仏陀は「法」を説かれました。なのにどうして如来や菩薩という像があがめられるのでしょうか。
仏陀が亡くなられるときにも、自らを灯明とし、法を灯明とせよ、と諭して亡くなられました。周りの弟子たちは、言われていることは分るのですが、やはり仏陀その人の亡くなられたことを悲しんだようです。
大切なのは仏陀個人ではなく、仏陀の教えだと言うことは分っているのですけれども、やっぱり人間だったのでしょう。
今の私たちは仏像を大切に思い、仏像そのものをありがたいと思って拝むこともあります。
しかし、原点においては仏陀は決してそのようなことは言っていないのです。
仏陀は、自分の像を作って拝めとは決して言われていないのです。
弟子たちは正しくその教えを理解しました。如来の像を作っても、仏の像を作ってもそれは「法」ではないことを理解していました。
このため仏滅後500年ほどの間は仏像は作られておりません。

初期の礼拝対象

仏陀が亡くなられた後、とにかく寂しかった弟子たちは、遺骨を納めた仏塔、ストーパを礼拝の対象としました。
しかし暫らくすると、仏伝図といって、仏陀の誕生や成道、初転法輪など仏陀の一生における重要な出来事を絵にして礼拝するようになりました。
あるいは船の舵取りに使われる輪のような形の法輪、菩提樹、仏陀の足跡の図形などが用いられています。
ここに挙げた三つの例にはある共通点があります。
法輪は仏陀の説法を意味しますし、菩提樹は仏陀の悟りを得られた場所を示しますし、仏陀の足跡は仏陀の存在を意味します。
共通点と言うのは、その図形から仏陀を想像できると言うことです。
そして仏陀その人自身はおもてに表されていないのです。
仏陀の教えを忠実に守りながら、仏陀の面影を求めたのです。

最初の仏像

仏滅後約500年ほどしてはじめて仏像が作られています。
最初の仏像は、神像彫刻が得意なギリシャ人が乞われて作ったようです。このため、鼻も高く、彫りの深い西洋人の顔立ちの仏像になっています。
そのモデルとしての仏陀は、王子と言う身分を捨て去って、貧しい衣一枚となって出家したときの様子が刻まれています。
仏像と言うのは、本来仏の像、すなわち仏陀の像でなくてはならないはずで、狭い意味では仏像とは釈迦如来像だけを示しますが、時が経つにつれ、菩薩や明王あるいは色々の神まで様々な像が仏像と言われるようになってきました。

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