如来


如来と言う言葉の意味

如来と言う言葉はよく考えられた言葉です。
もともとサンスクリット、つまり梵語で記されているのを漢字に翻訳したわけですが、梵語ではタターガタと発音します。その意味は真理が来たと言う意味になります。これを、如何なることでも見通していると言う意味で「如」を宛てて、来るの「来」とともにして「如来」と訳したわけです。
一度は真理の世界に行ってしまったけれども、再び戻ってきたと言う意味を持ちます。
仏陀は最初に心理を悟った後、この真理は他のだれにも理解されないであろうから、自分一人のものにしておこうと考えました。
しかし、そうではなく、多くの人々にこれを伝え、多くの人々を救わねばならないと決意しなおしたのです。
一度悟りの世界に行って、そこから再び戻ってきた人、と言うのが如来の意味です。
その姿を像として表すときには、貧しい薄い衣一枚を両肩に架けた姿で表します。

過去と未来の如来

本来仏陀を如来と言うべきなのですが、一度悟りの世界に行って、そこから再び戻ってきた人、というのが如来であるとするならば、まだほかにもそういう人があってもおかしくないわけです。
最初に悟りを開いたのは仏陀ですが、仏陀の亡くなる前にも完全な悟りを得ていた人が六人居たと考えられるようになりました。仏陀も亡くなっていましたので、合わせて過去七仏と呼ばれます。
さらにしばらくすると、未来にも仏が出現するものと考えられるに至りました。これを未来仏といいます。

現世の如来

更に大乗仏教になると色々の如来が考えられます。
過去や未来ばかりでなく、現在の世界にも如来が存在すべきであるが、この娑婆世界と異なる別の世界にいて、我々に救いの手を差し伸べているのだと考えられています。
西方には阿弥陀如来、東方には薬師如来がいて、それらの如来は各々の浄土で今も教えを説いており、娑婆世界にいる我々をも救ってくれているのです。
時代が進むと、もっと沢山の如来が考えられます。四方四維といって、東西南北、その間の東北、南西などあらゆる方向に如来がいて、私たちを守ってくれているのです。
ここまで一度悟りの世界に行って、そこから再び戻ってきた人、を「如来」と呼んで来ましたが、「仏」とも言われることがあります。
阿弥陀如来は阿弥陀仏とも言われるなどです。
もっと時代が進みますと、仏教の教えすなわち法を意味する毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)が考え出されました。これは東大寺の大仏に見られます。
さらに七世紀に入りますと、毘盧舎那仏が強化され、万物の根源宇宙を表す大日如来が考えられるに至るわけです。

如来像の特徴

如来像は基本的に、一枚の薄い衣を両肩に通し、冠は冠らず、手には何も持ちません。これが如来の特徴です。
ただ、大日如来だけは冠を冠りますし、豪華な衣装をつれたり、左肩だけ通したりします。しかしこの場合左手の人差し指を右手で握るか、両方の親指で大きな輪を作ります。
如 来 特 徴
釈迦如来 仏教の開祖仏陀 装身具を何もつけない 冠もない
衣は通肩 右手は手の平で前に押すようにし、左手はすくい上げる格好が多い
阿弥陀如来 無量寿仏 西方浄土に住む 四十八の大願成就
全ての人を極楽浄土に招く
釈迦如来と同じような姿 ただし手の格好が違う
両手とも、親指と他の指とで輪を作る
薬師如来 薬師瑠璃光如来 東方浄瑠璃世界に住む 十二の大願成就
第七番の願は一切衆生の病を治すこと
釈迦如来と同じような姿 ただし左手に薬壷を持つ
毘盧舎那如来 仏法そのものを表す理仏 仏陀は毘盧舎那如来の化身
蓮華蔵世界の蓮華上で説法している 太陽を示す
蓮華には千枚の花びらがあり、一枚ごとに仏陀がいる
釈迦如来と同じような姿 台座に二十七枚の蓮弁があり、各蓮弁に仏陀が描かれている ただしその仏陀は衣を左肩しか通していない
大日如来 摩訶毘盧舎那如来 森羅万象がことごとく含まれる宇宙を示す
智恵の面から見た金剛界 冠を冠り、左手人差し指を右手で握る 身体は金色
慈悲の面から見た胎蔵界 冠を冠り、左右の親指で普通よりも大きな輪を作る
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