いろは歌 解説 (いろは歌1)
いろは歌を見てみましょう。

  色は匂へど散ぬるを
  我が世誰ぞ常ならむ
  有為の奥山今日越えて
  浅き夢見じ酔ひもせず

どんなに色鮮やかな花でも、どんなに匂い豊かな花でもやがて皆散っていきます。
この娑婆世界に、永遠のものなど何一つなく、我々も老いぼれて死んでいく身であります。
有るとか無いとか、生まれたとか滅したとか、そういう現象の世界を超越すれば、
はかない夢に惑わされ苦しむことはなく、真実の世界に心は安定するでありましょう。

私もあなたも人であれば常に細胞は入れ替わり、年老いてゆくものですから、無常といわざるをえません。
人間ならば常に変化しているのですから、人というのは無常であります。
草木はどうでしょう。
大きくなったり枯れたりしますから、やはり無常です。
石はどうでしょう。やがて風化しぼろぼろになっていきます。
山はどうでしょう。地すべりや地震で形は変わり、雨水によっても変わります。
太陽にしても星にしてもすべて変化するものばかりです。
 色は匂へど散ぬるを  我が世誰ぞ常ならむ
まさにそう言っているわけです。

いろは歌では、無常偈の生滅の代わりに有為を用いています。
生滅というのは、無常のことであり、変化することを意味しています。
有為というのは、仏教用語で、様々な因縁によって生じた現象であって、絶えず生滅して変化することを言います。
ちなみに、無為というのは、生滅変化を離れた永遠の存在を意味します。
ですから、いろは歌の有為は、無常偈の生滅と同義語なのです。
 有為の奥山今日越えて  浅き夢見じ酔ひもせず
有為の奥山を越えた今、幻のごとき現実を思い悩んだり、惑わされることはなくなるのです。
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