幸福への道
限界
 
あきらめのできる限界について考えてみましょう。
先ほどの給料の例で考えて見ましょう。
本当に人間あきらめられるかという問題です。
30万円だからあきらめもできるかもしれません。
しかし、20万円ならどうですか、それでいいですか。あきらめられますか。
10万円ならどうですか。あきらめられますか。
10万円ではとても生活できないのではないでしょうか。家賃を払えば食べ物さえも満足に買えないでしょう。
それでも10万円も頂戴できて有り難い事だと、感謝したり、これでいいやとあきらめられますか。
とても無理な話です。
どこかに限界があります。生活できるぎりぎりの線が限界かもしれません。
たとえば20万円でしょうか。
本当に10万円の給料だとすればどうすれば良いでしょうか。
これは、幸福感とか言う問題ではありません。転職も検討しなければなりませんし、生活そのものの話です。
あきらめられないので幸福感が得られないとしても、大切なことは、上司や会社をうらむような考え方を持ってはいけないということです。うらむ前に解決策を考えることが必要なのです。
会社に生活の苦しさをお話し、なんとか上げてもらえないか頼んでみることも良いかもしれません。
そうしてどうにか生活できるようになれば、ああ有り難いな、こんな出来の悪い俺にこんなに出してくれて、と感謝することができます。
その状態で満足することが出来るというのがあきらめたということであり、幸せ感も得られるのですが、通常、そこには限界が在る様に思えます。
どんな状態であってもあきらめることができるかといえば、無理な場合もありうると思えます。
ところが、ところがですよ、乞食は三日やったらやめられないという表現を耳にしたことはありませんか。
先ほどの話の続きとして、会社に話したけれど上げてもらえなかったとしましょう。もうこれでは家賃をはらって部屋を借りての生活は出来ません。
いかなる解決策もなく、万策尽きてとうとう会社もやめてしまい、乞食になったとします。
仕事の責任もなくなり、責められることもありません。文句を言われることもありません。
ただ冬の寒さが身にこたえます。食事はレストランの方にお願いして、残り物を頂いていますのでまったく問題はありません。
要するに生活することが出来るのです。何の苦労もありません。こんなに楽しいものとは知りませんでした。一番いいのが、上司の顔を見なくてもいいことです。
こんな幸せは外にはないでしょう。
まあ、これは極端な話ですが、生活レベルをぐっと落としてやれば、この状態であきらめることもできないことはありません。
日本の社会においては生活保護の制度があり、乞食をする必要はありません。ちゃんと生活できるようになっています。あまり贅沢できませんし、旅行だ、ドライブだと遊びまわることはちょっと控えねばならないかもしれませんが。
そうしてみますと、給料が10万円でも0円でも、なんとか生活できるわけですからありがたいと思えます。
ここに幸せ感を得る事はできるのです。
あきらめることの出来なくなる限界はないのです。
考え方を変えれば、不満に思うことも、我慢することも、幸せに思うことも出来るのです。
仏教の要約版、般若心経を見てください。
般若心経にはすべての事が空であり、執着してはならないとされています。
あきらめの限界などということはありません。
同時に、幸福とか不幸とか考えること自体間違っているのだと教えているのかもしれません。

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