キリスト教と仏教 聖書と経典 |
聖書 キリスト教には、旧約聖書と新約聖書の二つの聖書があります。 旧約とか新約の「約」の意味は、神が人間に対して契約・約束を科されているということの意味です。 旧約聖書は、キリスト教の母体であるユダヤ教の聖書です。キリスト教ではこの上に新約聖書を置くので、新約に対して旧約というのです。 ユダヤ教では当然旧約聖書のみを聖書とし、新約聖書には見向きもしないわけです。 旧約聖書は神が人間に与えられた約束事が示されており、非常に厳格なものです。 しかし人間が忠実にその約束を実行していれば、神は必ず新しい約束に書き換えてくださると信じ、待っていたのですが、ここに、イエスキリストが、神の子としてその新しい約束を持ってきてくれたのです。 旧約聖書には、創世記、出エジプト記などにより、天地創造や人類創造のこと、あるいはイスラエル民族の発展などに関することと、日常生活の喜びや悲しみが記されています。 新約聖書には、マタイの福音書やマルコの福音書などにより、イエスキリストの言葉と行為が記され、さらに信仰に対する意見、神の国の成就などについて記されています。 経典 仏教の経典には、小乗経典と、大乗経典の二つがあります。 小乗経典は、仏陀が亡くなられてしばらく後に、私はこのように聞きましたと言う口伝を文字にして残したものです。 この小乗経典は阿含経といいます。小乗経典、阿含経といっても独立した一つのお経があるわけではありません。沢山のお経の集まり全体を指す呼び名です。 阿含経の中には色々のお経がありますが、中でも有名なのが、涅槃経、六方礼経、法句経、経集、生経などがあります。 法句経はダンマパダといいますが、これは短い詩集のような構成になっており、私のこのサイトにおいて別項として抜粋を解説紹介していますのでご参考ください。 阿含経は仏陀の説かれた言葉をとにかく記録に残そうと、必死で在りのままの口伝の内容を文章化したものです。ですから原始仏典ともいわれます。 これに対して大乗仏典は少し事情が異なります。 仏滅後数百年を経て、新しい仏教、大乗仏教が興ってきました。 ただ、新しいと言っても、仏陀の説かれたことと矛盾しているわけではなく、色々の説法の中から考え方をまとめなおし、整理したと言うこともできます。 例えば空の論理について、仏陀は生前に語られており、阿含経にも示されていますが、あまり目立たなくひっそりと潜んでいる状態だったのを、ぐっと引き出して中心的存在にしたと言う具合です。 そのような方法で色々のお経が出来てきました。般若経、般若心経、維摩経、法華経、観音経、華厳経、無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経、涅槃経、大日経、理趣経などです。 しかしこれらのお経においても、「如是我聞」(私はこのように聞きました)で始まるお経が多いのです。 数百年を経ているのですから、実際に聞いたわけはないのですがそのように記されていますし、それが許されています。 そこに仏教特有の有り方があるからです。 すなわち、「私はこのように理解しました」ということが、「私はこのように聞きました」ということなのです。ですから、仏陀の説かれた言葉の周りに色々のお経が沢山できてきたのです。 |
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