キリスト教と仏教  天国と極楽
天国
キリスト教では天国といいますが、正しくは天国というよりは神の国と言うべきでしょう。
新約聖書には天国(Kingdom of Heaven)という言葉は一回だけ出てきますが、あとは全て神の国(Kingdom of God)とされているからです。
キリスト教の母体はユダヤ教にあります。そのユダヤ教における神の国というのは、国とか領土といった考え方ではなく、神の支配という考え方でした。
キリスト教もこの流れを汲んでおり、神の国というのは、神の霊的支配がなされることと言うような意味になります。
キリストは、神の国の到来を宣教しながら数々の奇跡を起こしてみせています。たとえば、病気の人を治癒させたり、身体に障害のある人を治癒させたり、死者を復活させたり、あるいは水の上を歩くといった奇跡を起こしています。
キリストが見せたこのような奇跡は、既に神がこの世に到来されていることを示し、神の国になりつつあることを示しているのです。
しかしまだ完全な神の国ではありません。
なぜかといいますと、神の国になることを拒む人々がいるからなのです。このことをキリストははっきりと言い切っています。
神の国が完成するのは、この世の終わりのときです。この世は神の国になるのです。
そしてその神の国が完成するとき、忠実なものは復活するのです。
この完成した神の国が、天国といわれるのです。

極楽
仏教では仏の国というのがあります。仏国土といいます。
この仏国土は煩悩や汚れのない清らからところなので、浄土といわれます。
仏教では沢山の仏がいます。
キリスト教では神は一つなのに対して、仏教では実に沢山の仏が存在します。その仏の数だけ仏国土、すなわち浄土があります。
たとえば阿弥陀仏は西方に極楽世界という浄土を持っています。
薬師仏は東方に浄瑠璃世界と言う浄土を持ち、毘盧舎那仏は宇宙の中心に蓮華蔵世界と言う浄土を持っています。
私たちは、阿弥陀仏の極楽世界と言う浄土をすぐ思い浮かべます。それほど有名なわけです。
このため、浄土と言えば極楽と思いがちですが、浄土は極楽よりも上位概念になります。
仏教にはこの浄土とは別に天界と言うのがあります。
仏教には、全ての生き物は輪廻転生するという考え方があります。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人の六つの世界です。
このうち天人が住んでいるのが天界です。天人は非常な長寿ですが寿命があります。天人でも死ぬとまた地獄から餓鬼へと回るのです。
これを六道輪廻と言いますが、仏陀の教えを正しく悟ることが出来れば、この六道輪廻を脱し、浄土に行くことができるのです。
この天人の住むところが天界であり、輪廻の輪の中にありますが、浄土は悟りを得た仏の住むところで輪廻の輪の外にあるわけです。
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