中観の哲学から見た空の思想 |
初めに 般若心経と言えば「色即是空」 でもその意味はなかなかわかりにくいと言うのが現実ではないでしょうか。 般若心経の解説書は一体どれだけ出版されていることでしょう。数え切れないくらい出ているのではないでしょうか。しかし、般若心経全般に付いてはなるほど解説されていますが、肝心の「空」ということについては、どうもかゆい所に手の届かない感じのものが多いように思いました。 それではと言うので、般若心経からではなく、ナーガルジュナの中観に示される哲学としての、空の思想とはどういう事なのかを調べてみることにしました。 角川書店発行の、梶山雄一・上山春平著「空の論理」、西東社発行の田上太秀著「もう一度学びたいブッダの教え」その他の文献をみて、私なりに感じたことを述べさせて頂きます。 通常の場合ですと、空とはこういう事だと直接解説に入られることが多いのですが、ここにおいては、まず空ではない我々の常識でわかる所から始め、順に我々の常識的理解を打ち砕く方向で述べてみたいと思います。 そうして最後に、理屈だけわかっても空が分ったことにはならない。直感こそがすべてなのだと言う所にたどり着きたいのです。 しかしあくまでも私の感じたことを述べてたものであり、学術的に正しいものとは限りませんので予めお断りさせて頂きます。 中田良作 拝書 1 般若心経のルーツ 仏陀の教え 仏陀は待機説法の達人でした。人を見て法を説くのです。分っている人には分っている人のために説き、まだ分っていない人のためには初歩的な表現で説くという具合です。 そうして弟子と言うか説くべき対象となる人も幅広く受け入れられ、僧侶として仏教に専念する人は当然のことながら、一般の在家、社会人に対しても説法を行いました。 仏陀の教えの中心的考え方は、 あらゆるものは縁起で成り立っていると言う基本原理、 諸行無常、諸法無我、涅槃寂静で示される存在の原理、 苦集滅道の四諦と言われる苦を滅する手順 正しいものの見方や正しい行いなど八つの道を示す八正道 など、極端を避けた中道が主体となっています。 そのような説法をどのように受け止めるか人によっても異なっていたことでしょう。また、その人の立場と言うか、出身なども関係しますので、自ずと似通った理解者同士が集まるようになり、大きく分けて二つのグループができてきました。 一つは僧侶を中心とするグループで、ブッタの言われたことは全く忠実に守ろうとするグループです。 もう一つは社会人を中心とするグループで、仏陀の言われたことは当然であるが、そこに発展的考えを持ち込んでもよいではないかと言う考え方のグループです。 教団の分裂 仏陀存命中にその言葉は書き残されてはいません。みな口伝によって伝えられています。 このため仏陀入滅と同時に集会が持たれ、私はこのように聞きましたと述べ、それをみんなで修正し承認すると言うことがなされました。 さらに100年ほど経って、再びそのような集会が持たれたのですが、例えば金銭の所持についても議論されました。金銭の所持管理について、基本的戒律はそれを許していないことは分っているけれども、この場でそれを認めることにして欲しいと言う提案がありましたが、結局長老たちの意見によって否決されました。そのほかにも色々時代の流れに沿って、戒律を緩めるようお願いしましたが通りませんでした。 これらに不満を持ったグループが、それなら我々だけで一つのグループを作りますと宣言して分かれてしまったわけです。 分かれて出たほうが大衆部、残ったほうが上座部と呼ばれています。 大衆部は革新的な考えを持つ社会人を中心としたグループであり、上座部は保守的考えの僧侶を中心としたグループです。 もともと少しづつ異なる感覚を持っていたグループだったのですが、ここに来て決定的な分裂状態に至ったわけです。 その後小さな分裂は繰り返されますが、大きな分類としてはこの二つであり、上座部はインドの少し南にあるスリランカで今でも生き続けています。 大衆部は中国を経て日本に伝来し、現在に至っています。 ですから今日本で生きている仏教の全ての宗派の根源は、その分裂した大衆部の流れを汲むものです。更に遡るとするならば,仏陀の説法を聞いていたときの、社会人を中心とする人々の考え方が伝わってきているわけです。 原始仏典 仏滅後200年ほどたった紀元前三世紀ごろ仏陀の言われた言葉を思い出しながら文字として経典が作られるようになりました。 比較的短い文章が多く、多くの章から成り立っています。これはパーリ語で書かれています。仏陀の言葉に一番近い経典であり、ニカーヤといわれる原始仏典です。一部は中国で漢字に翻訳されて、阿含経といわれます。 この原始仏典の一部に、スッタ・ニパータと言う経典とダンマ・パダと言う経典があります。 スッタ・ニパータは、仏陀と弟子達の会話を集めたもので、70の文章からできています。このため、仏陀の真の言葉にもっとも近い経典とされています。 ダンマ・パダは法句経と呼ばれますが、これは、数多い仏陀の言葉の中から人生の指針となるべき言葉を集めたものです。 この原始仏典が取りまとめられている頃、先に分裂した教団大衆部はあまり活動はしていません。仏教の中心は上座部にあり、ここで原始仏典はとりまとめられました。 そのため仏陀の言葉にできるだけ忠実にあろうとされたことが伺えます。 説一切有部 上座部は三つに分裂しますが、その中の一つに説一切有部という教団があります。 別れたといっても元は上座部であり、僧侶・出家者です。当時の仏教の中心であったことに間違いはありません。 そのため彼らは、信者から豊富な施物を受けながら、仏陀の説かれた法を哲学としてまとめようと努力しました。 空の思想を知る上で、この説一切有部の哲学は重要な位置を占めます。 物質的存在、感覚、或いは意識など全てのものは、存在するからこそ認識できるのであり、存在しないものは当然認識できないとしています。そしてその存在するものをいくつかに分類しています。 大乗仏教 仏滅後500年ほど経って紀元前後になると、先に分裂していた大衆部が力を付けてくるようになり、自らを大乗仏教と呼ぶようになりました。 これは、分裂した上座部の考え方を非難して、それは小乗であり、我々は大乗だと言ったわけです。小乗とは修行して悟るのは自らを解脱するためのものであり、一般の人々の救いにはならない、我々は自らのことよりも、多数の他の人々を救うことを目的とするものである、だから大乗だと言うことです。仏陀自身が行ったのは自らのためではなく、我々他者を救うためだったことは明らかではないか、利他の修行こそ必要であると説いたわけです。 この考え方は一般の人々に溶け込むことができ、大乗仏教の隆盛をみるようになったのです。 般若心経 大乗仏教は膨大な数の経典を作り続けました。 紀元前100年頃から紀元後200年くらいの間を初期、その後の西暦400年くらいまでを中期、1300年くらいまでを後期と言います。 現存する最も古い大乗経典は約600巻からなる「般若経」です。大乗仏教の初期の時代にすでに般若経が作られているのです。 これは大乗仏教の根本思想であり、後の世になって付け加えられてきたものではないことを示しています。 そうして、「般若心経」ですが、これはいつまとめられたのか定かではありませんが、さきの般若経のエッセンスを抽出して極めて短い経にまとめられたのです。 しかしその原本は見当たりません。インドにも実在しません。西暦629年、中国の玄奘が漢字に翻訳しています。 玄奘が見たかもしれない原本に一番近いものはなんと日本にあるのです。 法隆寺の貝葉経がそれです。 ここに般若心経の一番原点に近いものがあるわけです。 色即是空・空即是色と盛んに空が説かれています。 空は無すなわち無いことであると考えるのは大きな間違いです。では有るのか、と言うとそうでもありません。 有でもなく、無でもない。では何だと言うことになるのですが、後で詳述いたします。 |