いろは歌 解説 (無常偈1)
仏陀の言葉は色々の形で表され、残されてきていますが、その中の一つに、詩の形があります。
これを「偈」といいますが、涅槃経の中の一節に、「無常偈」というのがあります。前頁でご覧頂いた、諸行無常〜寂滅為楽の偈です。
次のように読みます。

  諸行は無常なり
  これ生滅の法なり
  生滅を滅しおわらば
  寂滅して楽となる

「諸行無常」、直感的には、もろもろの行いは無常である、と思われますが、ここで言う「行」というのは、行いではありません。諸行とはこの宇宙にある全てのものや、全てのことがらです。いわゆる森羅万象を意味します。
無常と言う言葉をきくと、どうしても一抹の寂しさを覚えますが、これは、今は栄えていてもいつかは滅びるときが来るという、平家物語の偉大な影響力なのかもしれません。
その一節は、
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、
  娑羅双樹の花の色、盛者必衰の断わりをあらわす。
と、なっています。
ここで言う無常は「盛者必衰」を強く印象付けていますが、日本人として感じるのはその通りです。
現在好ましい状態にあるのが、やがて好ましくない状態に変化していく場合に限って使われているからです。
逆に、例えば、宝くじに当たって大金持ちになったというような変化に対しては、無常という言葉は使わないのです。
このような使い方をしているために「無常」という言葉に寂しさを覚えるのです。
しかし、仏教で言う無常は、もっとドライです。なにも盛者についてのみ言っているのではなく、その逆も含んでいます。つまり今貧している人もやがて富す可能性も含んでいます。
仏教の無常は、感情的なものではなく、変化するという現象そのものを言っているのです。
仏教がインドから中国に伝わり、日本に伝わってきているのですが、中国に伝わり漢字となったときに、無常と訳されているのですが、これをそのまま日本に持ち込んできたために余分な感情まで付いてしまっているのです。
ですから、本来の無常には寂しさの感情はないのです。
全く、変化そのものを物理的論理的に表しているのです。盛者が衰えるのも、宝くじに当たって金持ちになるのも無常なのです。
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