6 円珍
円珍は空海の遠縁に当たり、最澄と円仁のあとを受け継いで、天台宗を育て上げました。
在唐中の記録は、自筆の書行歴抄に詳しく記されています。
インドの般若怛羅(ハンニャタラ)からも梵字悉曇を教わっています。
このとき習得した悉曇は、算延、斉詮、安然と伝承され、日本の悉曇学の重要な基礎となっています。
円珍は智証大師と呼ばれますが、智証大師請来目録の中には、梵字悉曇章や天台悉曇章などがあります。

7 慧運
東大寺や薬師寺で学んだ後、空海の高弟実慧の弟子となって密教を学んでいます。
その後入唐し、二百余巻の真言経などを請来しています。
その中に梵字悉曇に関する文献は、数点みられますが、ほとんど現存していません。

8 宗叡
862年入唐し、五台山に行きます。こで青竜寺の法全や慈恩寺の造玄などから教えを受け、興善寺の智恵輪三蔵にも師事しています。
おそらく宗叡は五点の梵字悉曇資料を請来していると思われます。
新書写請来法門等目録によりますと、梵字雑真言、悉曇歌讃心経、梵経、梵漢両字、梵漢両語対注集が見られます。
また、宗叡の著作として悉曇私記があります。
これは、悉曇字記の注釈書として、最古のものと言われ、高野山宝寿院、竜谷大学などには写本が保存されているようです。



以上の8人を入唐八家または悉曇八家と言いますが、平安時代の初期、約60年の間に唐に渡り、貴重な文献資料を入手してくれたわけです。 これらは、日本の梵字悉曇学の基礎となり、その後研究が進められ発展隆盛を迎えることになるのです。



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ようこそおいで下さいました。    私は電気関係の技術屋でございます。   しかし若いころ、インテリアについてもそうですが、仏教特に般若心経に興味を抱き、仏教哲学をひっくり返してやろうと思ったことがございました。 でも調べれば調べるほど、他の宗教と違って、論理的で非の打ち所がないことが分かってまいりました。   そうして50歳を迎えたころまた思い立って、インテリアとは関係御座いませんが、原点としての貝葉に書かれた梵字の般若心経を漢字に直し、掛軸にして玄奘の翻訳とくらべてみました。   貝葉に梵字で般若心経が記録されたのは何時のことか定かではないようですが、その貝葉梵本を玄奘なりに工夫しながら翻訳したものです。    この二つの般若心経をみてみますと、随所にちがいがあります。 これが玄奘の考えたところです。    このようにした結果、貝葉の梵字般若心経と玄奘のそれとを直ちに見比べ出来るようになりました。   最初は大きいとか小さいとかインテリアと言うこと自体に意識はなく、普通の掛軸にしてしまったのですが、床の間に置いてみると立派なインテリアになっていました。上から下まで全て手書きです。   旧友がそれを見て、小さ目の掛軸にして般若心経のインテリアにするといいよといって、このような掛軸を作ってくれました。   ちょうど良い大きさの掛軸で、梵字主体の荘厳さのある掛軸となり、感謝しています。    この友達はアクセサリーやインテリア製作の専門家ですが、掛軸を作ったのは初めてだそうです。    でも流石、手工芸の得意な人だけあって、素晴らしいインテリアにしてくれました。  本当にありがたく思っています。    中田良作 拝書