3 常暁
常暁は京都法琳寺に居て太元帥法を伝えています。
直接の資料は残っていませんが、安然の記録の中に、常暁は悉曇章一巻を請来したと記されています。この本は十一の章からなっていますが、少し抜け落ちているところもあります。
また、空海などの請来本と多少異なっており、どちらかと言えば、悉曇字記に近いといわれています。

4 円行
円行は空海の弟子に当たり、東蜜の流派に属します。
梵字悉曇の資料として、十巻ほど記録にあります。このうち悉曇章は安然の悉曇蔵において概要が紹介されています。
しかし、円行はこのように資料を持ち帰りはしましたが、帰ってからの梵字悉曇に関することはあまり記録されていません。
このようなことから推測ではありますが、円行は梵字悉曇にあまり勢力は傾注しなかったのではないかと考えられます。

5 円仁
円仁は最澄の弟子であり、常暁、円行とともに入唐しています。
唐にいるときの苦労話や、当時の仏教、梵字悉曇などについて自筆の記録を残しています。
特に梵字悉曇については、在唐記に収められている梵字字母表が貴重な資料となっています。
円仁は、終南山宗叡から梵語漢語の両語を学んでいます。
また、大安国寺元簡からも悉曇を学んでいます。
さらに、インドの僧宝月三蔵からも悉曇を学んでいます。
円仁が日本に請来した梵字悉曇関係の資料は、実に二百七十三巻にのぼるといわれています。
これは円仁の梵字悉曇の探究心の強さを物語っています。
円仁は、悉曇記一巻を著作していますし、天台宗の正統悉曇学の創始者と言われています。
この悉曇学は、後に安然に継承されていきます。


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ようこそおいで下さいました。    私は電気関係の技術屋でございます。   しかし若いころ、インテリアについてもそうですが、仏教特に般若心経に興味を抱き、仏教哲学をひっくり返してやろうと思ったことがございました。 でも調べれば調べるほど、他の宗教と違って、論理的で非の打ち所がないことが分かってまいりました。   そうして50歳を迎えたころまた思い立って、インテリアとは関係御座いませんが、原点としての貝葉に書かれた梵字の般若心経を漢字に直し、掛軸にして玄奘の翻訳とくらべてみました。   貝葉に梵字で般若心経が記録されたのは何時のことか定かではないようですが、その貝葉梵本を玄奘なりに工夫しながら翻訳したものです。    この二つの般若心経をみてみますと、随所にちがいがあります。 これが玄奘の考えたところです。    このようにした結果、貝葉の梵字般若心経と玄奘のそれとを直ちに見比べ出来るようになりました。   最初は大きいとか小さいとかインテリアと言うこと自体に意識はなく、普通の掛軸にしてしまったのですが、床の間に置いてみると立派なインテリアになっていました。上から下まで全て手書きです。   旧友がそれを見て、小さ目の掛軸にして般若心経のインテリアにするといいよといって、このような掛軸を作ってくれました。   ちょうど良い大きさの掛軸で、梵字主体の荘厳さのある掛軸となり、感謝しています。    この友達はアクセサリーやインテリア製作の専門家ですが、掛軸を作ったのは初めてだそうです。    でも流石、手工芸の得意な人だけあって、素晴らしいインテリアにしてくれました。  本当にありがたく思っています。    中田良作 拝書