先達の偉業  文献の収集

1 最澄
最澄は天台宗の開祖ですが、入唐前からある程度梵字を勉強しており、唐からの帰路密教の教えを受け、その時梵字悉曇を習得したといわれます。
しかし最澄の目的は密教にあり、そのために梵字も学んだと言うことのようです。
記録によれば、最澄による梵字の文献は15巻あり、そのほとんどか陀羅尼と曼荼羅に関するものです。
これをみても目的が密教にあったことがうかがえます。
しかしその後本格的に梵字悉曇をまとめ上げようとして、空海から悉曇字記など3巻を借用しています。
最澄のまとめた梵字悉曇は円仁、円珍に伝承され、安然において完成しています。

2 空海
空海は真言宗の開祖であり、弘法大師としてしたわれています。
入唐は最澄と同時期ですが、最澄よりも長くとどまり、長安において二年間密教の研鑽に努めています。
空海の梵字悉曇を見る場合、入唐前、入唐時、入唐以降の各段階に分けてみたほうが良いようです。
入唐前の段階においてもすでに大日経により、梵字の存在を認識してしていたようですが、どこまで体得していたかは不明です。
入唐時の習得に付いては、「胎蔵の梵字儀軌を受け、諸尊の瑜伽観智を学す」とか、「梵字梵讃間以ってこれを学す」、「梵夾三口」を授かったなどの記述があることから、色々の教えを受けていたことがわかります。
また「三十帖策子」は入唐時に師の恵果から受けた経典や真言をおさめたもので、唐の写経生の協力も得て写されたものです。
空海自身の真筆も含まれています。
この中に梵字が含まれているものは十三巻あります。
入唐後には梵字悉曇が空海の密教に重要な要素となってきます。
空海の持ち帰った梵字の資料は、少なくとも十四あります。
この中には、梵字悉曇章や悉曇字記もあります。
梵漢語に通じる空海は、二つの悉曇文献を著作しています。
梵字悉曇の起源、梵字の字相、字儀、陀羅尼の意義、具体的な文字の配列、書体、読音、などほとんど全てのことを纏め上げています。
梵字悉曇学の入門書として重要であり、古来多数の写本がなされ、江戸時代には本として刊行されています。
このように、空海によって梵字悉曇が日本において一つの学問として成立するに到ったものであり、空海は日本の梵字悉曇学の確立者であるといえます。


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ようこそおいで下さいました。    私は電気関係の技術屋でございます。   しかし若いころ、インテリアについてもそうですが、仏教特に般若心経に興味を抱き、仏教哲学をひっくり返してやろうと思ったことがございました。 でも調べれば調べるほど、他の宗教と違って、論理的で非の打ち所がないことが分かってまいりました。   そうして50歳を迎えたころまた思い立って、インテリアとは関係御座いませんが、原点としての貝葉に書かれた梵字の般若心経を漢字に直し、掛軸にして玄奘の翻訳とくらべてみました。   貝葉に梵字で般若心経が記録されたのは何時のことか定かではないようですが、その貝葉梵本を玄奘なりに工夫しながら翻訳したものです。    この二つの般若心経をみてみますと、随所にちがいがあります。 これが玄奘の考えたところです。    このようにした結果、貝葉の梵字般若心経と玄奘のそれとを直ちに見比べ出来るようになりました。   最初は大きいとか小さいとかインテリアと言うこと自体に意識はなく、普通の掛軸にしてしまったのですが、床の間に置いてみると立派なインテリアになっていました。上から下まで全て手書きです。   旧友がそれを見て、小さ目の掛軸にして般若心経のインテリアにするといいよといって、このような掛軸を作ってくれました。   ちょうど良い大きさの掛軸で、梵字主体の荘厳さのある掛軸となり、感謝しています。    この友達はアクセサリーやインテリア製作の専門家ですが、掛軸を作ったのは初めてだそうです。    でも流石、手工芸の得意な人だけあって、素晴らしいインテリアにしてくれました。  本当にありがたく思っています。    中田良作 拝書